CQ山からこんにちは(白河市 関山 FS157)
- 2023.04.25
- 山からこんにちは
関山(せきさん)は奈良時代から歴史に残る信仰の山です。山頂には行基 建立の満願寺があり、標高も619mと登りやすい山になっています。
道順
白河市の南湖公園南側を走る国道289号線を棚倉方面に進み、関辺集落から道路標識に沿って満願寺駐車場で車を止めて登山開始。
別ルートは関辺の手前白河実業高校の先を右折。県道76号線沿いをしばらく進んで県道388号線の交差点を。直進で白河の関方面に進み、左折で関山方向になります。タイトルにある画面は内松登山口です。
今日はスタンダードに関辺からスタート
登山口
関山は周回コースもあります
上り口の少し上に滝不動があり山頂登山後に周回して、左に下がる沢伝いに帰ってこれます。
?十合目
そんなわけないですねここで10丁目と言うことは・・・・この先 20丁目までありますね (;^_^A 17丁目でした
しばらく上ると今度は立派な不動明王が待っていました
ずいぶん上ってきました 下馬です。
下馬という石柱が立っています。昔の人は馬でここまで来られたのでしょうか?。私は自力で登ってきました\(^_^)/。
そばに案内板があり源頼義が奥羽鎮撫時、関山満願寺に参拝の折に下馬碑を奉納した。と書かれていました。右に立っている碑は明らかに後世の碑ですね。
のちの世に源義経も「いざ!!鎌倉」とはせ参じる時もこの山に参拝したといわれます。
ずーっとのちの時代は芭蕉と曽良も参拝しました。
やっと着いた (;´・ω・)
この寺は天平2年(730年)聖武天皇の勅願により行基が開基したといわれるお寺です。
山頂から眺めは最高
左から茶臼岳、赤面山、三本槍、旭岳がよく見えました。雪残っているんですね。風が冷たい訳だ。
白河の関へ
山の上でアマチュア無線の交信を楽しみ、後から登られたハイカーの方とおしゃべりをして下山。白河の関に向かいます。
みちのくの玄関口。古くから勿来の関と並んで白河の関は和歌にも歌われ、現代でも甲子園球児が白河の関を超えて優勝旗を東北に運んだと話題になっています。
古関蹟は松平定信が掘割などを考証し、この地を関跡として建立したと言われています。芭蕉が白河の地を踏んだ時は所在も不明で、後の世になってようやく、この地になったようです。
空堀の跡
定信が検証した掘割が現代でも残っています
堀で囲まれた場所が白河の関と指定されています
和歌に詠まれる白河
この場所を全国に広めたのは能因法師の「秋風」が有名ですね。
都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく白河の関
このほかに 平兼盛が歌った
頼りあらば いかで都に告げやらむ 今日白河の関は越えぬと
大河ドラマ「鎌倉13」の中村獅童君の梶原景季がなくなる数年前この地で読まれた歌
秋風に 草木の露を払わせて 君が越ゆれば関守もなし
白河の関と奥の細道
和歌に歌われた白河の関も長い年月にその場所さえ分からなくなり、芭蕉が来た時もこの地かどうかは不明です。ミステリアスなところに魅力があるのです。
しかし曽良が白河の関で残した句が、一躍白河の関を有名にしました。
「卯の花を かざしに関の 晴着かな 」
昔の故事に従って正装迄はできないので、花で髪飾りを付けて白河の関を超える「これから先 みちのく~!!} という気持ちがあふれている歌です
訪れたときは4月下旬ウツギは咲いてはいませんでしたが関所の右側の傾斜地にはニリン草が沢山咲いていました
シーズンOffのカタクリも見つけました。4月始めは関の掘割に沢山見れます
芭蕉は鏡石の影沼をみて須賀川に入り「風流の」の歌を詠んでいます。
「風流のはじめや奥の田植え歌」
躍動的な農作業の労働歌が聞こえるようです
「CQ山から・・」忘れている
本日の移動運用は2m と5ELのスタックです。関山の南斜面側は杉木立が多く木立の隙間から神奈川県の各局とコンタクトが取れました。
最近はポータブルのSSB機が増えてきていますので5W前後でも十分。NL770のアンテナ使用の局、神奈川県秦野市三の塔(1205m)からの電波は結構強力にスムーズに交信できました。
木立の隙間からでも飛んでゆくのですね。
北方面の眺望は抜群なので塩釜や石巻の局はガンガンと入感しています。宮城の北と福島の白河でも59/59です。 岩手の遠野や釜石も大丈夫でしょう。
肌寒い4月でしたが楽しいい1日を過ごせました。
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