郡山から越後古道
- 2024.05.08
- 歴史
毎年恒例になっている無線仲間との交流、新潟県十日町での懇親会。
今年は例年になく雪が少ないので、いつもの高速道路 乗り継ぎ(磐越道→北陸道→関越道)は避けて118号線で天栄村の羽鳥湖を通過し、121号線に抜け下郷から南会津町(田島町)。ここからは白河からの289号線に合流。駒止湿原方向に進み田子倉ダム方面 252号線(60里越え)で新潟までの道草道中記
針生地区に入ります。
案内坂 見落とさないで 只見方面直進‼
発見!! 50年前に駒止湿原に入ったときの針生部落の入口です。
昔 高倉以仁王がこの地に都落ちした時、あまりの峠のキツさに馬を止めてしまったことにより駒止峠と呼ばれた様です。又連れて行った女官の一部がこの地に土着して針仕事を教えたのでこの地名になったとか? 郡山市にも同じような地名が・・・・
駒止峠の旧道は崖っぷちの谷底の見えない細い道路を霧中で通った記憶があります。(帰路改めて霧が晴れて谷底の深さに肝を冷やしました)峠頂上付近の茶屋からすぐのところに駒止湿原がありました。
今は あっという間に峠越えです
2kmの駒止トンネルです
郵便の逓送に使われた雪上車と悲劇の物語
この峠のにまつわる悲劇
当時 田島と山口集落の間にある峠は昭和30年代になって2台の雪上車が導入「金嶺号」「銀嶺号」と名付けられ冬期間の貴重な通信や生活物資の輸送手段となってました。
12月22日の極寒の日に銀嶺号が峠の近くで谷に滑落。同乗していた女性が亡くなるという悲劇がありました、彼女はソ連に抑留されたご主人を10年間も待って田島に会いに行く途中の事故です。復員したご主人も悲しみのあまり自殺したという、あまりにも悲しい物語です。又 後日遭難救助に向かった警官が2重遭難で帰らぬ人になっています。そのほかにもこの峠は沢山の遭難事故が発生しています。
供養塔は現在遭難現場から289号線の山側に移されています。
只見町から道草
只見町から252号線を塩沢方面に。ここには長岡藩家老 河井継之助 終焉の地であり、記念館があります
記念館の裏側に埋葬された墓地がありました。
記念館の内部には終焉の間があり。戊辰戦争の壮絶な最後が感じ取れます
北越戦争で使われたガトリング砲
おーこれが日本で最初に実戦で使われたガトリング砲か‼(レプリカ)
河井継之助さんの写真
終焉の間
小説 司馬遼太郎『峠』の主人公。映画では「峠 最後のサムライ」で 役所広司が主演しました
長岡藩の上級武士に生まれ、若くして江戸と愛媛で佐久間象山や山田方谷に学んで、先進的な学問を藩政に生かし破綻した長岡藩の財政危機を救った。
しかし時は幕末。攻め入る薩長軍に対して武装中立を訴え和平の交渉を進めるが、談判決裂。3ケ月にわたる長岡戦争に突入、足に被弾して会津若松に敗走中にこの地に倒れた。
継之助が敗走した80里峠
20km程度の峠道ですが山越え道で10倍程度に感じるので昔から80里峠と呼ばれていました
継之助が詠んだ辞世の句「八十里 腰抜け武士の 越す峠」
北越戦争のさなか2万人を超す戦争難民をこの一帯の農民が、餓死者も出さず会津方面に逃したのは地元の美談になっています。
只見地区には東軍ならず西軍の戦死者墓標もあります。
252号線をUターン
田子倉ダムに到着これより60里越えになります。例年では5月に開通ですが、今年は雪が少なく4月下旬には開通しました
大きい田子倉ダムと左に大きく見える会津朝日岳
ダムの右側には浅草岳が雲間に見えます
電源開発
高度成長を下支えした電源開発。昭和30年只見川流域には数々の発電ダムが建設されました。
連綿と続いた故郷が水に沈み地域共同体が崩壊する中で利権と地権が絡み合い、当時電力会社の用地買収の切り崩し工作で会津若松の東山温泉は大変な賑わいだったと聞いています。影では東山温泉で豪遊する人たちを見て「ダダ飲み川」と揶揄してたようです。
60里峠越え
峠の途中にはいたる所に雪解け水による初夏の滝が見られスノーシェドの屋根からは滝の様に雪解け水が流れていました
峠を抜けて252号線をひたすら小出を抜けて十日町へ
十日町博物館
博物館には国宝に指定されている縄文時代を代表する火炎土器が陳列されています
TOPPAK 立派な博物館です
国宝‼ 火炎土器
火炎土器がこんなに一杯展示されています
この近辺では火炎土器がゴロゴロ出土してるのかな?
火炎土器の名前から「炎」のオマージュと考えられていたようですが実際は水と魚のデザインであり日本を代表する「信濃川」のイメージとの説明がありました。
特設展示
古代の考古収納品の展示が多いのですがこの日の特設展示では安土桃山時代に活躍した、雲谷等顔(うんこくとうがん)の筆による「群馬図屏風」が掲示されていました
躍動感のある馬が書かれていました。
懇親会迄の時間があったので近くの八箇峠で無線の実験
八箇峠は十日町市と六日町市の間にあり標高600m程度の峠です
144MHz 5EL HB9CV× 2 を秋田方面に向けて CQ CQ
今日は新潟エリアの各局と楽しく交信。北は鳥海山中腹のモービル移動局と南は長野県の美ヶ原の移動局とコンタクトが出来ました
天気は晴天 眺望は最高
左に正面に先ほど麓を通過した浅草岳と中央に会津駒ケ岳が見えます
振り返ると
左に巻機山 遠くに朝日 谷川岳か2000m級の山並みが見えます
峠を下山後は久方ぶりの無線仲間と親交を深め、翌日混雑を避け同じルートで帰路につきました。
帰りの道草
下郷町から118号線羽鳥湖の峠越え帰路は旧道沿いの二俣温泉で・・・・
二俣温泉は二俣山のふもとで秘湯の湯やランプの湯で有名な温泉です。
特徴的な二俣山
昔 ダイタラボッチという巨人が山をまたいだ時に、自分の一物で山頂を崩してしまったという伝説が残っています。
羽鳥湖
日本海に流れる大川(阿賀川)の支流の鶴沼川をせき止めた灌漑用に作られた羽鳥ダム
最近は珍しいアースフィルダム(土堰堤)である
118号線から堰堤を渡ると羽鳥湖リゾート高原
おしゃれなオートキャンプ場やコテージなどが立ち並ぶ保養地になっています
British Hills
ゴルフ場を抜け奥へ進むと何やら異国情緒豊かな建物が
案内坂?みんな英語だぞ‼
すべての建物が英国風 案内板もすべて英語
なんかいい雰囲気
中央には市庁舎を思わせる建物が
道路に散策しているのは若い女性ばっかりで、お目目をハートにして「かわいー・きれいー」と散策しています。
後期高齢者の御爺さんが歩き回るのには抵抗があるので早々に失礼して・・・
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