CQ山からこんにちは(田村市 移ケ岳 FS-073)

CQ山からこんにちは(田村市 移ケ岳 FS-073)

移ケ岳は以前は石材の切り出し場の為、登山をする山ではありませんでした。しかし石材は輸入材が流通の主流になった今、砕石所は廃止されてハイカーが気軽に登れる山となりました。しかし以前操業していた石切り場が山頂近くにあり、立ち入り禁止の場所がありますので注意が必要です。

田村市の北にある移ケ岳は標高が994mであり郡山から見ても北東方向に際立って見えます。

中央右の片曽根山(田村富士)左端に見える移ケ岳

移ケ岳への道順

国道288バイパスを田村市方向に進み、船引三春ICへの交差点を左に曲がります。踏切を通り越し国道394号線を左折して常葉町方向へ右折、富士の湯前を左折。美山小学校前を通過後に右折看板あり。移ケ岳登山口を道なりに進むと瑞峰平駐車場に到着します。

寄り道

前田遺跡

美山小学校に曲がらず直進すると前田遺跡があります。縄文中期から1000年間続いたといわれた遺跡。
この遺跡からはたくさんの土器が発掘されました。

菅原太事先生

美山小学校の入り口に菅原太事の碑が。誰??碑文の中にある河野広中は(明治・大正時代 福島の代表的な自由民権運動の活動家)で日本に国会が開かれる以前に、全国に先駆け福島県議会を開催し初代議長を務めて、その後に開催された国会の議長を務めた人です。明治/大正期の混乱した政治の世界で運動の柱を終止「普選」普通選挙の開催の為に尽力した福島の偉人。この有名な運動家の後継者として活動された人が、菅原太事です。
河野先生の後継者として国政・地方公共に尽力した美山地区の偉人。

大蛇伝説

移ケ岳に登り口途中に又看板を見つけました
平安時代に小野篁(小野新町の由来の人?)が妖術を使って、冥土からの生還をサイドビジネスで行っていた?時代です。妖怪が普通にいたんでしょうね

移ケ岳にアタック

移ケ岳の登山口は瑞峰平です。大きな駐車場で奥はキャンプもできるようなスペースもあります。季節限定ですがきれいなトイレもあります。
瑞峰平近くから山頂
結構な高さですね
頑張って登ると途中まで舗装道路で神社からは山道です。石切り場の分岐まで来た。
後の350mがきついんです。最後はロープ場です。機材を持って上るのは地獄

やっととうちゃこ

見晴らしは絶景です。山頂が狭いのが山頂無線家としては悲しい
正面に見えるのは安達太良連山、左にかすんでいる磐梯山
郡山や本宮から見る安達太良山とは山形がちょっと違いますね。
ズームにすると磐梯山が見えています。さすが秀峰どこから見ても磐梯山
北には冬になると富士山が見えるという日山が見えます
手前が羽山。奥は日山

お供のアンテナ

この山でのアンテナ被害が一番大きかったと思います。430MHzの14ELが13LEになったり144MHzの4ELが5ELに改造したのもこの山でのダメージからです。それでもめげずに担ぎ上げをやっています、ほとんどビョーキですね。
改造前の4EL
14ELだったんですね。今は13EL 山であちこち引っかかるのは少なくなりました。
4枚にしても14ELは長めでしたね1EL分カットしました。

移ケ岳からの交信エリア

この山は相性があまり良くありません。山頂登頂直後に豪雨にあったり、同軸コネクターを忘れたり。おまけに下山時にアンテナを破損するというアクシデントの山でした。

自分では「魔の山」と呼んでいます。

見晴らしは非常によく北は 大船渡 一関 平泉 仙台周囲の局は「あまり強力なのでローカルさんが出ていたと思いました」のリポートを沢山いただきました。
特に1.2GHzでは仙台方面からいつも呼んで頂く局長さんから「大名倉山の交信と比較して全然強力です」のリポートを頂き喜んでいます。
南方面も群馬 前橋市や埼玉の各局とつながり、山としてはいいのですが山頂直下の登山難所と山頂が狭い。この2つが登山の気持ちをなえさせます。
天気の悪い日は登山口の瑞峰平もロケーションとしては素晴らしい。冒頭写真のPeekが移ケ岳、右の丘が瑞峰平で、車からのOnAirも楽しめます。
山に登らなければ2mの7EL×2だって持ってこれる

サミットでなくてもアンテナが良ければ電波は飛んでゆきます。