安積山麓さんぽ(古墳・墳墓・摩崖仏)

安積山麓さんぽ(古墳・墳墓・摩崖仏)

大安場古墳(古墳時代前期 4世紀後半~ 84m巨大古墳)

49号線を郡山市よりいわき方面、谷田川周辺には古墳がたくさん存在します。その中で大安場古墳は前方後方墳としては東北最大で、郡山市文化・学び振興公社のガイダンス施設があり隣接の公園は連日多くの子供たちが遊んでいます。

  • 大安場古墳 1号古墳の近くには数基の古墳があります
  • 一号古墳から見るガイダンス施設と遠く安積山と雪をかぶった磐梯山が見れます

ここから谷田川を上流に登り、水郡線谷田川駅近くには荒小路古墳が発掘されハート土偶が見つかっています。これらは福島県文化振興事業団による発掘の為、白河にある福島県文化財センター白河館「まほろん」に展示されています。地元の人間としては大安場古墳に帰って来てほしいなあ!と思っています。

帰りたいよ~と言っている、ハート土偶の声が聞こえます

この近辺には沢山の古墳や墳墓があります。新たな発掘で新発見を期待します。

蝦夷穴横穴墳墓(7世紀)

大安場古墳を東に進むと郡山市東山霊園手前を右に田村神社方向に曲がり下田地区の道路わきにある横穴古墳。須賀川の蝦夷穴(タイトル画像)と混同するので蝦夷穴横穴墳墓と言われています
  • 近くにある説明案内板によると貴重な副葬品が見つかっています

北山古墳群(5世紀~  24m)

大安場古墳の北側古墳にある帆立貝式古墳。高瀬中学校の東北側にありました。現在は畑に造成され跡形もありません。
  • 6号古墳はかろうじて形状をとどめています
  • 2号古墳(帆立貝古墳)の跡地
  • 高瀬中学校の東側道路沿いの一号古墳と思われる個所

蒲倉古墳群(飛鳥時代 7世紀)

郡山美術館に東に隣接した「風土器の丘公園」にある墳墓群(群塚)一部石棺跡が残っています
  • 美術館駐車所の南の墳墓公園の入り口(左の方向に進んでゆく)
  • 4分ほど登ると右側に1基目(54号墳墓)がある
  • 墳墓の案内坂に書かれた順に沿ってゆくと1号墳墓にたどり着きました
発掘当時の5号墳墓の状態(今は埋め戻されています)

正直古墳(5世紀~  37m)

日本大学南側にある県道110号線沿いにある正直古墳群、大安場古墳と谷田川、国道49号線の対峙配置となってます。大安場古墳は住宅造成で虫食いになっていますが、正直古墳群はまだ開発が進んでおらず新たな発見が期待できそうです。
  • 49号方面に向かって守山中学校の手前の左側、林の中にある正直古墳
    道路沿いの土手を登ると数基並んだ墳墓らしき塚が並んでいます
正直21号古墳で市内でも大規模古墳に属します。
  • さらに奥に進むと発掘途中と思われる防水シートで覆われた墳墓がありました(GoogleMapの航空写真で見ても確認できます)

針生古墳(6世紀)

郡山西部の静町「静御前通り」沿いの静御前堂裏にある、市街地では珍しく原型をとどめた古墳。静御前堂は義経を追ってこの地で果てたといわれる静御前を祀ったお堂です
  • 地元では有名な静御前堂
住宅街にある貴重な古墳です
靜御前堂裏の針生古墳
静御前の従者として義経を追った「小六」と「さいはら」ですが小六は途中で病死(墓は近所のゴルフ場にありました)「さいはら」と「静御前」は入水自殺。後に残ったのは静御前堂と古墳の北にある「さいはら桜」です。2020年に老朽化?で伐採されました
静御前の生きたのちの時代に作られた板碑が静御前堂の床下に立っていました。(室町時代の板碑の上に 後世 静御前堂を建てた)

 

この近所にもミツ担古墳(ジーラックスイミングクラブ近く)や麦塚古墳(大槻町麦塚)等市街地の波に飲まれたこ古墳も沢山あります。市内 七つ池なども古墳の痕跡は残っていないようです。

神成横穴古墳(7世紀)

郡山市三穂田、須賀川の境界にある神成横穴墳墓群は県道55号線の両脇に点在します。

  • 道路左側の横穴墳墓
  • 道路開削時に新たに見つかったのは郡山の蝦夷穴横穴古墳と同じですが道路の両側なのでかなり大きく分布していたものと思われます。

    四十担墳墓群(7世紀ごろ)

神成古墳群のすぐ近くには四十担墳墓群が正一位稲荷神社の東側の丘の上にあります。
  • 道路沿いにある案内板、市民の憩いの丘になっているようですが登るのには結構きつい丘です
  • 丘の山頂は円墳(墳墓)が一列にたくさん並んでいました
南側に滑川が流れていて正面の崖には舘ヶ岡磨崖仏のあります。

館ヶ岡磨崖仏(鎌倉後期)

鎌倉時代に作られたという磨崖仏、堅い岩に彫られているため損傷が少なく近代に作られたように見えます
  • 衣の襞の彩色は最近つけられたものでしょう。損傷が少ないので目鼻立ちがはっきりしています
  • 鎌倉末期と書かれていますが最近彫られた磨崖仏のように見えます
近くにある種字の刻まれた大岩

上に大日如来下に五輪等の梵字が刻まれている

右側には不動明王の梵字が書かれています

和田磨崖仏(9世紀ごろ)

須賀川市4号線から須賀川空港線の入ると大仏大橋がありますその下に和田大仏と呼ばれる磨崖仏と横穴古墳が見られます

大仏(阿弥陀如来)の近くには横穴墳墓が作られており横穴墳墓になる埋葬は鎌倉以降も行われていた模様です

今回の探訪で磨崖仏のある和田地区や館ケ岡の周囲は横穴古墳や円墳墓と同じく鹿島神社も偶然に隣接しています。何か関係があるのでしょうか?今後の研究の課題です

蝦夷穴古墳(7世紀前半)

あまりにも有名な蝦夷穴古墳は墳墓の石棺もしっかり保存されており、梨畑の中のお宅にあります。
  • 県指定の古墳であり石棺の大きさも東北最大です。
  • 入口から奥まで10m以上あり立って室内に入れる大きな石棺です
  • 副葬品は太刀や馬具などが出土されていますが、国立博物館に展示されている様です。これもまた残念!

市内西田町鬼生田地区の古墳から猫型土偶が出土され話題になっています。鬼生田町の出土なので「オニャンコ土偶」と勝手にネーミングしていますが、見方によっては子鬼にも見えそうです。この地に生まれた子鬼が大滝丸に成長して後に「坂の上田村麻呂」に征伐されたという伝説が伝わっています。此処は鬼生田です「オタマルくん」でもよさそうですが・・・・

西田町には鹿島神社と天然記念物のペグマタイト鉱床を御神体ととした鹿島大神宮があります。日本武の尊神社などもあり何か埋もれた歴史がたくさんありそうです。室町時代の板碑もたくさん見られます。

市内赤木町は全体が大きな前方後円墳と言われておりますが逢瀬川と駅前のお埋め立てにほとんどが切り崩されたようです。

このほかに安積町の渕ノ上古墳や柏木の阿弥陀檀古墳は20mを超す古墳です。また麦塚古墳も大きな古墳ですが都市化の流れで昔をしのばれる形跡が有りません