安積山麓さんぽ(古墳・墳墓・摩崖仏)
- 2020.04.15
- 安積周辺歴史
大安場古墳(古墳時代前期 4世紀後半~ 84m巨大古墳)
49号線を郡山市よりいわき方面、谷田川周辺には古墳がたくさん存在します。その中で大安場古墳は前方後方墳としては東北最大で、郡山市文化・学び振興公社のガイダンス施設があり隣接の公園は連日多くの子供たちが遊んでいます。
ここから谷田川を上流に登り、水郡線谷田川駅近くには荒小路古墳が発掘されハート土偶が見つかっています。これらは福島県文化振興事業団による発掘の為、白河にある福島県文化財センター白河館「まほろん」に展示されています。地元の人間としては大安場古墳に帰って来てほしいなあ!と思っています。
この近辺には沢山の古墳や墳墓があります。新たな発掘で新発見を期待します。
蝦夷穴横穴墳墓(7世紀)
大安場古墳を東に進むと郡山市東山霊園手前を右に田村神社方向に曲がり下田地区の道路わきにある横穴古墳。須賀川の蝦夷穴(タイトル画像)と混同するので蝦夷穴横穴墳墓と言われています
北山古墳群(5世紀~ 24m)
大安場古墳の北側古墳にある帆立貝式古墳。高瀬中学校の東北側にありました。現在は畑に造成され跡形もありません。
蒲倉古墳群(飛鳥時代 7世紀)
郡山美術館に東に隣接した「風土器の丘公園」にある墳墓群(群塚)一部石棺跡が残っています
正直古墳(5世紀~ 37m)
日本大学南側にある県道110号線沿いにある正直古墳群、大安場古墳と谷田川、国道49号線の対峙配置となってます。大安場古墳は住宅造成で虫食いになっていますが、正直古墳群はまだ開発が進んでおらず新たな発見が期待できそうです。
正直21号古墳で市内でも大規模古墳に属します。
針生古墳(6世紀)
郡山西部の静町「静御前通り」沿いの静御前堂裏にある、市街地では珍しく原型をとどめた古墳。静御前堂は義経を追ってこの地で果てたといわれる静御前を祀ったお堂です
住宅街にある貴重な古墳です
この近所にもミツ担古墳(ジーラックスイミングクラブ近く)や麦塚古墳(大槻町麦塚)等市街地の波に飲まれたこ古墳も沢山あります。市内 七つ池なども古墳の痕跡は残っていないようです。
神成横穴古墳(7世紀)
郡山市三穂田、須賀川の境界にある神成横穴墳墓群は県道55号線の両脇に点在します。
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四十担墳墓群(7世紀ごろ)
神成古墳群のすぐ近くには四十担墳墓群が正一位稲荷神社の東側の丘の上にあります。
南側に滑川が流れていて正面の崖には舘ヶ岡磨崖仏のあります。
館ヶ岡磨崖仏(鎌倉後期)
鎌倉時代に作られたという磨崖仏、堅い岩に彫られているため損傷が少なく近代に作られたように見えます
近くにある種字の刻まれた大岩
上に大日如来下に五輪等の梵字が刻まれている
和田磨崖仏(9世紀ごろ)
須賀川市4号線から須賀川空港線の入ると大仏大橋がありますその下に和田大仏と呼ばれる磨崖仏と横穴古墳が見られます
今回の探訪で磨崖仏のある和田地区や館ケ岡の周囲は横穴古墳や円墳墓と同じく鹿島神社も偶然に隣接しています。何か関係があるのでしょうか?今後の研究の課題です
蝦夷穴古墳(7世紀前半)
あまりにも有名な蝦夷穴古墳は墳墓の石棺もしっかり保存されており、梨畑の中のお宅にあります。
市内西田町鬼生田地区の古墳から猫型土偶が出土され話題になっています。鬼生田町の出土なので「オニャンコ土偶」と勝手にネーミングしていますが、見方によっては子鬼にも見えそうです。この地に生まれた子鬼が大滝丸に成長して後に「坂の上田村麻呂」に征伐されたという伝説が伝わっています。此処は鬼生田です「オタマルくん」でもよさそうですが・・・・
西田町には鹿島神社と天然記念物のペグマタイト鉱床を御神体ととした鹿島大神宮があります。日本武の尊神社などもあり何か埋もれた歴史がたくさんありそうです。室町時代の板碑もたくさん見られます。
市内赤木町は全体が大きな前方後円墳と言われておりますが逢瀬川と駅前のお埋め立てにほとんどが切り崩されたようです。
このほかに安積町の渕ノ上古墳や柏木の阿弥陀檀古墳は20mを超す古墳です。また麦塚古墳も大きな古墳ですが都市化の流れで昔をしのばれる形跡が有りません
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