安積山麓さんぽ(宇津峰から蓬田岳)

安積山麓さんぽ(宇津峰から蓬田岳)

 古希を迎え足腰の鍛錬を兼ねて、本格的な登山はハードルは高いので、500mから1000m程度で 30分~60分の山を ターゲットとし、近隣の山へハイキングをしています。

山に登る道すがら周辺の歴史や逸話拾い集めてまとめました 時間つぶしにご覧ください。

宇津峰山

郡山の東、今回チャレンジの宇津峰山は郡山市と須賀川市にまたがる標高667mの山。南北朝の戦で、1353年北畠顕信が後醍醐天皇の孫 守永親王を奉じて 立てこもった国の史跡です。

道順

登山口は、須賀川と郡山よりのコースがあります、今回は谷田川からの郡山コースをトライしました。49号線郡山よりいわき方面へ福島空港の右折看板を見過ごし、谷田川小学校左手に見てローソンの先に。右折宇津峰入口の案内あり。 谷田川郵便局の手前です。
郡山よりの眺望 (三角形のきれいな単独峰)
馬場平登り口(路肩の駐車場)
さらに車で上り詰めることができ駐車スペースまで舗装道路となっています。ここからは約20分で山頂
最終の駐車場からさらに徒歩で登ると、御井戸の清水到着(数分です)。
御井戸の清水名水100選に選ばれたおいしい水です
清水の傍に東屋があり郡山方面が見える。清水の右から急登が始まる。

急登を上り詰めると頂上の東屋があり、東方向には勤皇忠烈の碑があります。山頂で会った村の長老が幼い頃の話で戦前に部落の若者が総出で山頂までこの碑を担ぎ上げた話をされました。何人で担いできたんだろう?戦前です重機はないので考え込みました。

山頂です   

勤皇忠烈の碑
東屋より西に守永親王を祀った祠の入口の鳥居。
山頂の鳥居をくぐると後に建てられた 守永親王、後村上天皇、後亀山天皇を祀る祠が3基並んでいます。(アイキャッチタイトル)
鳥居の反対側は須賀川市や遠く那須連山、八溝山を望める絶好のビューポイントになり、休日には沢山のハイカーが眺望を楽しんでいます。
福島と茨城県にまたがる1022mの八溝山が見える、右下は滅多に飛行機が飛ばない福島空港を右に目をそらすと那須連山が見えます。
  • 無線機とアンテナを持って那須連山に向けてCQCQ

3月~4月は山頂の北斜面でカタクリの花の群落がみれ、5月~6月は東屋の西側でカキツバタの花を見ることができます.

ちょっと早めでしたが、可憐なカタクリの花が咲いていました。

宇津峰の歴史遺物(板碑)

南北朝時代のお話です。その後の宇津峰に立てこもった南朝は 1347年福島伊達市の霊山と 1353年宇津峰、相次いで陥落。南朝の終焉を迎えたことは周知のことと思います。
中世の遺物として令和の時代にも見ることができる興味深い遺跡(板碑)を紹介いたします。
板碑とは近親者の冥福を祈る「追善供養碑」、生前に自分の仏事を行い冥福と来世の現世利益を祈る「逆修供養碑」、その他に集落の団結を表す記念として仏に功徳を受ける目的の「結集供養碑」 があります。
追善供養は今のお墓の習慣につながり、結集供養は後の庚申塔や十九夜塔等 集落の「講」、逆襲供養は近代における首長や地元有力者などの「俺の功績だ!俺が、俺がやった!」 「顕彰碑」のようですね。(最後は私の個人的な見解です)
鎌倉時代から室町後期にかけて普及した板碑は郡山だけでも400基を超え須賀川周囲を含めると1000基を超えると思われます。年々風化が進み銘が読めるものも少なくなり。都市化の流れで紛失しているものも沢山あり保存が望まれます。沖縄を除き全国にあるようなので時間のある方は探してみてください。さて本題に戻して田村町で紀年銘がある南北朝時代の板碑は12基ありますが、南朝歴が証明できるものは次の2基だけと言われます。
一般的な庚申塚や如意輪菩薩像から馬頭観音等の石仏はずっと新しい石碑で江戸時代に庶民の生活が安定した時代に建てられたものです。

南朝銘の板碑

さて冒頭の2基ですが、谷田川の満蔵寺には(阿弥陀如来、勢至菩薩、観世音菩薩)の阿弥陀三尊の種子板碑があります。南朝に組する有力者が(南朝歴   興国六年 1345年)建立。さっそく調査。満蔵寺の奥様らしき人に尋ねると?・よく知らないが 向かいの杉林に何か古いお墓があるということで、さっそく確認したらビンゴ!古い墓石の後ろに隠れるように立っていました。

2基目は、郡山市田村町御代田小学校東にある板碑  (南朝歴 正平六年 1351年)南朝の旗色の悪い時に南朝歴を彫り込込むことは相当力の持った有力者がこの周辺にいたと思われます。書かれた文字は変形キリークです残念ながら正平六年の文字は700年の風化で確認は出きませんでした。

御代田小学校東の板碑阿弥陀尊の変形キリーク

  • 正の文字は摩耗して確認できませんが平六年はかろうじて残っています。

浮彫板碑

郡山と須賀川周囲には浮彫板碑と種子(梵字)板碑が多く、関東以北に分布する板碑の初期建立された浮彫板碑は全国一といっても過言でないと思われます。
浮彫板碑では如法寺の笠塔婆 国重要指定文化財で、承元二年(1208年)を筆頭に鎌倉時代の浮彫阿弥陀三尊が80基を有す
宝物殿の笠塔婆はガラス越しですが音声ガイドで説明してくれます
通常見られる阿弥陀三尊は正面を向いているものですが、特にこの地方には右下のほうを向いている早来迎三尊が多くみられるのも特記すべきことです。
安積疎水のイメージと明治以後に発展した新興都市。 郡山の歴史定説を見直す面白いポイント郡山周辺を探 索したいと思います。本文記載の参考資料は郡山市教育委員会発行の「板碑の世界」村田和義氏著書  の「福島県の阿弥陀来迎三尊石仏」

坂上田村麻呂と田村町

八幡太郎義家の伝説と田村麻呂の伝説の似たような地方伝承であり。ともに奥州に足跡が多く田村町には地名にあるように、田村麻呂伝説が残っています。
当時(800年代)に中央政権の奥州征討に伴い征夷大将軍として福島地方にも派兵。この地には700年代に安積軍団が整備され中央政権に組する豪族も多く、田村麻呂の大多鬼丸征伐などが語り継がれ、三春駒などの地方玩具が生まれた。
坂上田村麻呂出生は郡山市田村町徳定字泉田に、田村麻呂が産湯に使った泉があり近くに谷地神社が生母 阿口蛇媛(あくたひめ)を祀った谷地神社があります。また田村町守山地区には、田村麻呂が東夷征伐をおり、鎮守山泰平寺を建立し元帥明王本尊とした田村神社があります。神社には大元帥明王像が秘仏として安置されています。

阿口蛇媛

    徳定地区の湿地にある谷地神社
阿口蛇媛をまつった祠
田村麻呂の父 坂上苅田村麻呂が奈良時代の東夷征伐をおりに、阿口蛇媛との間のご落胤と、よくある話ですが・・・・・・市の東北部に 阿久津という地名があるが関係性はいかに?

田村神社

  • 守山地区の田村神社本殿入り口の鳥居と階段

    大元帥と書かれた本殿
  • 奥の細道 曽良の日記の案内

    指定文化財の案内板
芭蕉が立ち寄った場所は奈良時代から鎌倉時代の和歌や逸話の場所を多く訪ねています。建物や遺物がなく自然を対象としたものは須賀川・鏡石の影沼や、はなかつみの安積沼など空振りに終わった個所があるのは残念ですね。影沼や安積沼も「美女の入水」と言う悲恋があります。昔の沼はきれいだったので入水したのですが、現代のどぶ池だったらと思うと悲しい恋の話のストーリーは変わっているでしょうね。

古代へのいざない

この地区は古代からの贈り物がたくさん発見されております。

土偶

宇津峰の近く水郡線谷田川駅の近くにはハート土偶(荒小路土偶)が発掘されてます。縄文後期に作られたと推定、現在は白河市のまほろん館(福島県文化財センター白河館)に展示されています。福島市に発掘された「しゃがむ土偶」が有名ですが、これらは八戸で発掘された国宝「合掌土偶」と同種で産婦をモデルとした安産祈祷の為の土偶と言われています。平塚らいてう <原始女性は太陽であった> のフレーズを思い出しました。
  • 荒小路遺跡のハート土偶

    国の重要文化財「しゃがむ土偶」

 

前方後方墳

郡山近郊に戻りますが田村町大善寺には「大安場古墳」が発見されてます。全長83mの前方後方墳であり東北地方では最大の古墳。墳墓には長さ9mを超える木棺が出土され中からは太刀や剣、槍、鎌 等と共に腕輪型石製品(ヒスイで作られたブレスレット)が見つかっています。このブレスレットを形どったガイダンス施設があります。
  • 大安場1号墳墓と腕輪型石製品を形どったガイダンス施設(郡山市観光協会HPから)

蓬田岳

田村麻呂伝説で歴史地名の多いことに気が付き田村麻呂が後日に建立した菅船神社のある蓬田岳ぜひ登りたい山です。

大聖不動明王

板碑捜索の時に御代田小学校の近くで見つけた、大聖不動明王と菅布禰神社が気になっていましたので、ちょっと見に行きました。
淵の上大聖不動明王は田村安積線の正直から阿武隈川を渡って、信号機を右折すると三差路右に曲がるとすぐにあります。御祭神は不動明王でもともとは、ヒンズー教のシバァ神と言われております。恐い形相ですが煩悩を断ち切り迷いの世界から導いてくれる慈悲深い仏様です。
  • 道路の傍にある祠、中にある石碑は摩耗して不動明王のカンマンの種字は確認できませんでした

菅布禰神社

不動明王にお参りしたら道を少し戻って先ほどの三差路を左に曲がると、御代田小学校手前にJR水郡線の踏切があり,右側に菅布禰神社がある
御代田にある菅布禰神社
菅布禰神社は福島県中央南部に分布しており、浜道りには確認できていません。船と山?そういえば田村市には船引という地名もあり・・?。そもそも菅布禰神社は福島県石川郡平田村に鎮座して周辺に菅舟神社、菅布禰神社が集中しています。御祭神は猿田彦命(サルタヒコノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。
言い伝えでは 景行天皇の四十二年(113年)日本武尊が東夷征伐のおりに、平田村の蓬田岳に「水鬼」「風鬼」という賊徒達がおり、水鬼は洪水を起こし、風鬼は台風を起こして村人を困らせていた。
日本武尊はこれらを攻める為に必要なものは船だと、日本武尊は船で攻めかかり水鬼・風鬼を討ち果たしました。その後、坂上田村麻呂が延暦二十年(801年)に再び東北を攻めて大多鬼丸を討ち果たし、蓬田岳の山頂に神社を建て、猿田彦命と日本武尊を御祭神とし『菅船神社』祀った。ちなみに前期の船引という地名は、戦いの際に負傷した兵士や戦死者を船に乗せて引き上げたという逸話が起源でそうです。・・・やっぱり田村麻呂・・・恐るべし!
時の中央政権が地方豪族を服従させるための作り話は見え見えで、こんな作り話で日本の歴史が作り込まれてきたと思うと悲しいかぎりです。
これは是非にも田村麻呂が建てた菅舟神社を見に蓬田岳に登りたくなりました

蓬田岳登山

地図で見ると一番短い登山口はどこだ?と検索すると沢又登山口を見つけ登頂まで45分これは楽勝と・・・いつものいい加減さが後で痛い目を見ることに。
沢又登山口は国道49号線から40号へ向ける予定が台風19号の土砂崩れで、牛骨 経由 錢神を抜けて見晴らしのいい尾根道を進むと沢又登山口に到着します。
  • 駐車スペースは4台程度早いもの勝ちです
登山口から、いざ!出発! 登山道は比較的登りやすいです。手前のPeekを超えると山頂にあるTV中継所の電源供給用の電柱を数えながら進む、頂上付近はちょっと急な岩場などがあり登り切ると、菅船神社に到着その先に中継所さらにその上が山頂になります

絶景

いよいよ山頂 山頂は岩場で大きな岩がハイカーのテーブルや椅子になっています。
北に目を向けると郡山市街地 遠くに双耳峰の磐梯山が見えます
西に目を向けるといつも登頂する宇津峰山が眼下に見える。
南に八溝山1022mが右側に遠く確認できます。

プチ遭難

景色を満喫した後下山です。帰りはBS登山番組の田中陽希をまねて・・・・・タッタッタ??おかしい??電柱が見えない。どうやら道を間違ってしまったようだ。近くには沢の水音、山道はけもの道、ここは焦らず原点に戻って明確なルート選択再び山頂に向かい平田村のジュピアランドへの下山ルートを選び無事下山しました。さすがに二度の登山は足にきて最後の足取りは足腰がガタガタで、数日は筋肉痛で歩くのもやっとでした。
山頂のTV中継局

ジュピアランドに迎えに来た息子から「無理をするな!年を考えろ!」とお説教、反省しきりです。 くれぐれも高齢者の登山は気を付けましょう。低い山でも遭難します。