安積山麓さんぽ(道しるべ)
- 2020.01.02
- 安積周辺歴史
道標として現代まで史跡として残っている一里塚や道路元標。過去からの道しるべを現代にいたるまで調べてみました。
一里塚
主要街道に約4km毎に置かれたマーカーで、都市化の流れで現存するものは少なく須賀川周辺には数基現存しています。一里塚は江戸時代主要街道に整備された現代で見られる道路標識です。近代になり道路が国家管理になることで消滅してしまいましたが。現代にいたるまで残されたものを訪ね歩きました。
須賀川一里塚は国道4号線と118号線(須賀川空港線)の交差点に位置し、街道両脇に対で残っています。
- 一里塚は本街道に家康の命で作られましたが、後には地方大名が作り始めましたので本街道以外にも沢山見られます。
昔は会津街道は食堂の上を通っていたことになります
会津街道沿いにはまだ手付かずの塚が残っています
このほかに天栄村には安養寺の一里塚跡と木杭の一里塚もあります。
江戸時代のちょっと前は現在の奥州街道(阿武隈川に沿った)より白河~大信村~天栄村より諏訪峠を経て会津。天栄村から三穂田~大槻~片平~本宮が主街道だったようです。木杭の一里塚を見て会津に向かったのでしょう。脇街道の勢至堂峠は立派なトンネルが出来て会津方面はあっという間です。
それよりも時代をさかのぼると(鎌倉時代)旧国道付近が主街道だったようで、郡山安積町のビックパレット北に案内板がありました。為政者の都合で街道は変化するのですね。
軍事街道の感がありますね。経済圏に取り込まれる街道は江戸時代からなのでしょうか?
ここ数年で至る所に高規格の舗装道路と峠の下には長いトンネル。歴史を語る史跡はあっという間に埋もれていきます。😢
奥羽街道の須賀川一里塚を北にたどると森宿付近と笹川付近が該当しますが、都市化の流れで一里塚は消滅しています。
街道沿いの遺物
さすが街中には塚の痕跡は見えませんが付近には塔婆や講塚が多くみられます。奥羽街道沿いを探しました。
笹川は南北朝後期の足利満直が笹川公方としてこの地区を統治していました。天性寺東の線路わきの墓地には足利公方の記念塚が立っていました。この付近は板碑が多くみられ鎌倉末期の阿弥陀三尊来迎石仏も何基か見られます。
子安観音堂
日出山の子安観音堂にある宝塔三尊塔婆は全国的に珍しい配置です
ここでは笹川が音無川との表記であるが、もりおか歴史文化館にある「武奥増補行程記 12巻〔5〕」をみると笹原川の表記はあるが「ささやき橋の句」は見当たらず。今の逢瀬川(おとなしかわ)の橋のふもとに「石碑あり・・・みちのくの音無川にわたさばや ささやきの橋 しのびしのびに」の古文書がありました。後世に逢瀬川から笹川に句碑の場所を新しく移動したようです。
武奥増補行程記 12巻〔5〕
伊東備前の碑
武奥増補行程記 12巻〔5〕には以前 国鉄郡山機関区内にあった伊東備前の供養塔も正確に書き込まれています。
現在は富久山町久保田の日吉神社の境内に移設されています
神社拝殿の左には戦国時代に伊達政宗の身代わりとなって戦死した伊東備前の墓碑。以前は国鉄機関区の中に設置されていたがいつのまにか・・・・・
神社入口にある板碑群
この近隣は阿弥陀寺と本栖寺に板碑が数基設置されています。須賀川から郡山まで奥州街道沿いには数々の遺構が残されており古代から人々の生活のありさまが見え宗教や文化の息吹が垣間見れます。
山王神社跡の板碑供養塔群
これより奥州街道は郡山市街地となり塚や石塔群は少なくなりますが、街道沿いに点在してます。
道路元標
街道や主要道路の起点になる場所で、日本の道の原点は日本橋であることは周知のことと思いますが、各地には道路元標や追分と呼ばれる道路標識は各地に点在します。
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郡山の道路元標
郡山にも道路元標はあります。市内清水台にある八幡様の参道と奥州街道の起点にある郡山道路元標は街に出かけたとき目についた方も多いと思われます。これは郡山市道路元標ですので古くても大正時代であり、明治時代に建てた里程元標と呼ばれるものは時の流れで消滅してしまったと考えられます。福島市にある里程元標は最近に建てられたものです。
道路元標は近代の遺跡なので主だった集落には設置されています。それほど大きくないので紛失されたり、個人保管になっているものも多いのではないのでしょうか?
追分
街道の分岐に建てられた「右○○、左△△」と書かれた石柱です。時代劇でお馴染みの石柱です。
旧設置のポイントから赤木付近の旧4号線を斜めに走る道路の起点は八幡様の参道であったと思われます。のちの時代(江戸時代後期に現在の追分ポイントに変わった感があります)
さらに奥州街道を北進
追分のポイントを過ぎると産土神社と呼ばれている阿邪詞根神社があります。ここに治暦3年(平安時代)と書かれた3m近い曼荼羅板碑があります。これだけ巨大なのは全国的に珍しい。(建造年は追刻と言われていますが、形状から鎌倉初期のものと推定されています。そばには阿弥陀三尊の板碑もちょこんと付いています。神社の裏には種字の板碑が4基隠れるように立っていました)
- 3m近い曼荼羅板碑。左下におまけで阿弥陀三尊が置いてある
初期石塔物(阿弥陀三尊来迎石仏)
須賀川から本宮にかけて奥州街道沿いに現存する古い形式の阿弥陀三尊石仏をリストアップ
須賀川市
- 須賀川市加治町円谷印刷所裏庭(加治町来迎石仏) 通型来迎三尊
- 須賀川市池上町十念寺(十念寺来迎石仏1) 通型来迎三尊
- 須賀川市池上町十念寺(十念寺来迎石仏2) 通型来迎三尊
- 須賀川市宮先町 私邸(宮先町来迎石仏) 早来迎型三尊
- 須賀川市諏訪町千用寺(千用寺来迎石仏) 通型来迎三尊
- 須賀川市古屋敷 私邸(古屋敷来迎石仏) 通型来迎三尊
- 須賀川市中宿岩瀬森鎌倉神社(鎌倉神社来迎石仏) 通型来迎三尊
- 須賀川市森宿字下宿宝来寺(宝来寺来迎石仏1) 通型来迎三尊
- 須賀川市森宿字下宿宝来寺(宝来寺来迎石仏2) 通型来迎三尊
- 須賀川市森宿字下宿宝来寺(宝来寺来迎石仏3) 早来迎型三尊
- 須賀川市森宿字下宿御所宮(御所宮来迎石仏) 通型来迎三尊
- 須賀川市滑川字東町筑後塚(筑後塚総双式来迎石仏) 双式来迎三尊
郡山市
- 郡山市安積町笹川字篠川熊野神社(熊野神社来迎石仏)早来迎型三尊
- 郡山市安積町笹川字御所前天性寺(天性寺来迎石仏) 通型来迎三尊
- 郡山市安積町笹川字御所前天性寺(独尊来迎石仏) 通型来迎独尊
- 郡山市安積町笹川字 私邸 (笹川佐藤宅来迎石仏) 通型来迎三尊
- 郡山市安積町日出山(日出山子安観音堂塔婆) 宝塔三尊
- 郡山市小原田小源寺(小原寺来迎石仏) 通型来迎独尊
- 郡山市池ノ台荒池畔(荒池畔来迎石仏) 通型来迎三尊
- 郡山市本町熊野神社(熊野神社来迎石仏1) 早来迎型三尊
- 郡山市本町熊野神社(熊野神社来迎石仏2) 通型来迎独尊
- 郡山市大町今泉女子専門(女子専門学校来迎石仏) 早来迎型三尊
- 郡山市大町阿邪詞根神社(阿邪邪詞根神社来迎仏) 通型来迎三尊
- 郡山市堂前町如法寺(如法寺笠塔婆石仏) 笠塔婆独尊
- 郡山市冨久山久保田阿弥陀寺(阿弥陀寺来迎仏1) 通型来迎三
- 郡山市冨久山久保田阿弥陀寺(阿弥陀寺来迎仏2) 早来迎型三尊
- 郡山市冨久山福原阿本栖寺(本栖寺来迎仏) 通型来迎三尊
- 郡山市冨久山福原阿本栖寺(本栖寺独尊来迎仏1) 通型来迎独尊
- 郡山市冨久山福原阿本栖寺(本栖寺独尊座像仏1) 独尊座像
- 郡山市日和田西方寺(西方寺来迎仏1) 双型独尊
- 郡山市日和田西方寺(西方寺来迎仏2) 双型独尊
本宮市
- 本宮市関下石綱阿弥陀堂(阿弥陀堂来迎仏) 通型来迎三尊
- 本宮市仁井田東町新昌寺(新昌寺来迎仏) 通型来迎三尊
- 本宮市仁井田西町不動堂(不動堂来迎仏) 通型来迎三尊
- 本宮市太郎丸町観音堂(観音堂来迎仏) 通型来迎三尊
これ以外にも岩瀬、安積地方には通型および早来迎型の三尊像は80基を超えて、全国的に突出している。今回奥州街道沿いのリストアップですが種字板碑を加えると相当の数が記録されます。 (参考 村田和義著 福島県の弥陀来迎三尊石仏)
長年の風化が進み破損や紛失もあり保存が望まれます。
現代の道路元標
現代の道しるべは思わぬところに点在します。今更 一里塚?そんなの必要ないよ、最新のカーナビあるし・・・・・ちょっとまって!!!!この道路元標がないと、あなたの車はとんでもない場所にガイドされます。現在郡山付近の電子一里塚は長沼町、湖南町館浜、西田町、安積町第2小学校にあります。
独り言(ボヤキ)
- 郡山で4か所の電子基準点で精度の高い位置情報が得られます。数年前に「みちびき」と言う順天頂衛星が上がって自動運転やらドローンでの自動宅配など官民挙げてPRに余念がないですが、残念ながら日本での衛星システムQzssは4機のみで他は、アメリカのGPS(32機)、ロシアのGronass(26基)、欧州のGalileo(27機)の衛星をお借りしてのカーナビ運用です。考えると寂しい限りです中国では44機の衛星で独自のシステムを運用しています。
- 位置補正は4機の衛星を必要としますが静止衛星ではないので、どこかの衛星を借りるシステムになっています。
- しかも使われるチャンネルは軍事用が最優先で他国の余ったチャンネルでの運用です、当然有事の際は精度が低下します。30年前に湾岸戦争があったときカーナビの精度が ガクンと落ちた事を思い出しました。
- 現在この衛星位置システムを利用して衛星による土地測量やトラクターの自動運転などいろいろな研究が進められております。AIとの兼ね合いや位置情報の精度UP(現在は数cmまで補正は可能)ですが補正速度の問題もあり、衛星・AI・5G・マイクロ波(レーダー)通信システムの ブラシアップが今後の課題でしょう。
今後も新旧取り混ぜて歴史探訪を行いますので、お付き合いください。
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