安積山麓さんぽ(駅前さんぽ 安積永盛駅)
- 2020.07.04
- 安積周辺歴史
安積永盛駅は東北本線と水郡線が乗り入れる駅、阿武隈川を挟んで日本大学や日大東北高校と帝京安積高校があり、利用客は2000人/日で、郡山駅管轄の業務委託駅となっています。
水郡線は水戸駅から終着は安積永盛駅ですが、郡山駅から水戸駅間の運行がなされています。本当は水永線と言うネーミングなのですね。
安積永盛駅正面の永徳橋は永盛と徳定をつなぐ阿武隈川に架かる橋で電車通学者の大切な橋です。
足利将軍と安積永盛
この地は南北朝の動乱終息後、北畠と新田の両勢力を抑えるために、足利満直が笹川御所を設置統治していました。現在も天正寺の東側は御所前と言う地名があり、JRの踏切の東側 篠川から東館付近が御所ではないかと思われます。現在の笹川と言う地名は死の川を忌み嫌い、篠から笹へ替えられたと言われてます。
篠川近くにある足利満直の塔婆
中世の遺物 高倉坊
安積永盛駅の北側には室町時代からの板碑が集められています。
安積町周辺は高石坊以外に日出山の二渡神社(阿武隈川の西側 49号線北)にも種子板碑が集められています。
阿弥陀様のほほえみ
熊野神社には早来迎型三尊がありますが、隣接する佐藤様宅で管理されている通型阿弥陀三尊は大きく美しい仏様です。
笹川御所の守りの館(東館)
二つの寺をかかえた大きな町であったにもかかわらず、後の戦乱期を経過後には城郭のほとんどが消滅、現在は東館稲荷神社と東館跡(本丸)が古の姿を留めています。
笹川御所を守る笹川稲荷神社は、東に阿武隈川西側の堀をめぐらした館になっていて、戦国時代の城郭つくりの形になっています
荒井猫田遺跡
鎌倉時代から室町時代の遺構群です。奥大道と呼ばれる道路と両側に広い範囲で町屋が発掘されました。現在はビックパレットが建設されて面影はありません。
芭蕉が渡った阿武隈川
永盛小学校の西側に芭蕉の紀行文にある「4月29日 田村神社で収蔵品を鑑賞した後、金谷村から阿武隈川を船で渡って日出山へ」の渡船記念碑がありました。碑のある場所は阿武隈川を渡し船で渡ったのち「しんばし」で渡って日出山に入った。(曽良随行日記の記述)とありますので、おそらく笹原川に架かる橋を渡ったと思われます。
真新しい芭蕉の句碑と案内板
日出山の文化財
子安観音堂の双塔阿弥陀三尊は大変珍しい石仏で、他には兵庫県加西郡北条町の「古法華山石仏」で奈良時代の遺物と言われております。
この子安観音堂は小さな念仏堂ではありますが、重要文化財が3点もあります
- 石造宝塔三尊供養塔婆
- 木造子安観音菩薩半跏座像
- 木造地蔵菩薩半跏座像
地蔵菩薩と観音菩薩はお堂の中にあるため確認はできませんでした。
安積町は歴史のある街です。奥州街道沿いは昔の面影を残す街並みもたくさん残っており。安積町から郡山の阿弥陀町(本町)までは昔の面影を残すの道筋の一つです。
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