武奧増補行程記12-6を現代にみる(13~15)
- 2025.09.27
- 歴史
福島から伊達へ入りましたまだまだ街中なので目指す場所が見つけにくいです。頑張って探しましょう。
絵地図にないところも巡ってみました
絵図にある古文書の解説文や和歌の読み下しに間違いがある場合はご容赦ください
長倉村(6-13)
中央一里塚の左に長倉村内と記述されております

成田村、松原村、一里塚、が描かれています。353号線と伊達桑折ICの陸橋下に一里壇の地名在り、地名のみ残っています。 是より南 福島領成田村 同北 谷地村、箱崎村
長倉舘
館の内地区にある伊達小学校


斎藤彦内
長倉山福源寺は義民「斎藤彦内」の墓があり、寛延三義民顕彰碑は一里壇の先 産ケ沢川にあります。
福源寺の斎藤彦内の墓

福源寺裏の墓地にある墓石
事件のいきさつと結末
彦内霊堂が覆い屋根がかかって立っていました
寛延三義民顕彰碑
当時処刑場であった産ケ沢形状に立った顕彰碑
この絵地図が描かれた(1751年)の数年前にこの地方に起きた信達一揆の顕彰碑です、農民の一部の要求は認められたが、騒動の中心人物「 斎藤彦内」がすべての責任を取ってこの地で斬首されました。

松原村(葛の松原)
奈良仏教の学僧覚英は、22歳の時発心し道を求めて緒国行脚の旅に出立した。桑折の松原を仏法有縁の地と定め、行乞三昧に勤めていたが、保元2年(1157)41歳で入寂。「葛の松原辻人の里二條関白家入道御弟覚英僧都入寂の旧蹟」が建った。後年それを知った福島藩主板倉公重臣河原栄機が、覚英入寂600年後「覚葛の松原の碑」を建立した。
世の中の 人には葛の松原と 呼ばるる名こそ 嬉かりけり, (僧都覚英 夫木和歌抄)
なき跡も名こそ朽せね世々かけて忍ぶむかしの葛の松原,( 板倉公重臣河原栄機)
松原寺
葛の松原の碑
桑折地区の有力者が住んでいたのでしょう。近くには松原寺があり、葛の松原の碑があります
葛の松原の碑文
松原寺案内板
桑折(6-14)
中央に「是より佐渡奉行お預かり所」 半田銀山の佐渡奉行所は1747年より開所ですのでとりあえずお預り所なのでしょうか?幕府直轄領は1664年からなのですでに幕府管理で銀山発掘は管理されていたようです。
半田銀山は「御雲にこれ向半田山の背の方に見え候」とここからもっと先ですね
初代伊達家朝宗の墓所
墓所


諏訪大社
つつじケ丘遺跡(朝宗墓所近く)から旧伊達郡役所の途中に諏訪大社があります

旧伊達郡役所
諏訪大明神この地の近くには明治時代になって旧伊達郡役所が建ちました、町内には本町や下町が残っています


2回階の会議室


宝来寺(法圓寺)/大安寺 無能時 薬師寺が確認できました
法圓寺

この寺には佐藤馬耳が建てた、松尾芭蕉の東北最初の句碑があります「風流の初めや奥の田植え歌」

芭蕉が通った時はまだ宿場町だったのですね
大安寺



地元の国文学者安藤野雁の碑もありました

悪代官は作られたイメージでほとんどの代官様はこのような善政を行っていたと信じます
無能寺
本堂前には立派な御影の松と命名された松がありました

無能寺は慶長元年(1596)に良然上人が創建し、当初は大光山正徳寺と称せられていました。その後、傑僧といわれる無能上人(1683〜1719)がこの地域で1日10万遍の念仏を唱え、生涯3億6千遍に及ぶ念仏を唱えたと言うそうです。
一切の欲事を断って念仏に励み、常座不臥の生活を続け様々な法力を行って地域の信仰を集め、念仏教化に専念したと伝えられました。無能上人の弟子 不能 が無能上人の徳をあがめて開山に仰ぎ、寺名を「無能寺」と改称し今に至っています。
一切の欲情を断つため自分のイチモツを切断したというセンセーショナルな事柄が有名にしたのかな?

この寺には後年 戊辰の役で福島で殺害された官軍参謀 世良修蔵が斬首された胴体が埋葬されている様です。世良の首は白石市福岡蔵本字陣場45-4に埋葬されています。(のちに胴体の代わりに土だけが埋葬された)
無能寺にも胴体は埋葬されてなく(阿武隈川河川敷に仮埋葬されていた胴体は折からの大雨で流失)位牌だけが無能寺に収められていたようです。
谷地村(6-15)
仙台伊達藩の伊達輝宗の館跡があ、伊達は伊達藩発祥の地です。
追分と一里塚跡
谷地の追分
左小坂峠を越え米沢ですが 東北本線と新幹線で分断され羽州街道353号線と続きます
谷地一里塚跡
ここから観月台まで奥州街道です。

輝宗の居城
正宗の曾祖父稙宗が築いた西山城です。輝宗の館とありますが 4歳までしかこの地にはいないようです。

西山城ガイダンス施設にある万正寺の大カヤの木
日本最大と言われますが、お寺の前ではなく西山城ガイダンスがある施設の前にある。
城郭入り口

観音寺
西山城入口にある観音寺

ここまでが奥州街道と奥羽街道です。これから奥羽街道経由でのんびり探索です。
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