武奧増補行程記12-6を現代に見る(22-26)
- 2025.11.17
- 歴史
行程記12-6も最後に近づきました。福島の道筋は行程記12-5-3~12-6-21に記載されています。
行程記の中で郡山久保田12-5-34~福島金谷12-6-3の間が記載がありません。後日独自に探訪の旅を続けて行こうと考えています。
6-21で越河宿の入口にたどり着いていますが、今回も6-22越河宿からのスタートです。越河は「こすごう」と読みます
越郷(越河宿6-22)
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右下と上部に沢山書き込みあります。( ;∀;)
頑張って読み下します。誤読は御勘弁を
・上段
苅田郡 越郷 齊川迄 一里十八丁
奥州国 気質は 武門に出つ略 仙台言葉 隠れ無し 金不可笑 そうしたからこうしたからと言葉 ???
・からは故なり 和歌八重垣に出たり 又 百首に(土屋康秀 小倉22)吹きからに秋の草木のしをるれば(山風を嵐というらん)からは故と言う事也申し云々。 にしを主と言う詞 期ん直し十二文字・・・・・・・≪方言の解釈「から」小倉22の和歌「吹きから」に?????だんだん意味が?????≫
和訓に上略中略下略 其の他 義語 新語 待てる由いうんぬん又 五音に直すればとてやすしとみし とは不可言い 又もうしさく 梵漢の語を真侭に申したる彷りは余り和訓 たをれに申し解すべからずにと蒙る 新敷 花壺 花にて申せばかなわん 宜しくき詞なり 新まくらするとも
又 日本記に にいはり筑波 とも出侍る 清濁五音は書から也 伊勢物語に 歌さへそ ひなびたりと出たり 上方よりは昇りと也
・下段
仙台家臣 三万石 白石 居城 片倉小十郎
当番所 御本様 斎藤清三郎 制札 人を略す 右条にて相守り事なり 年号月日 後藤孫兵衛 遠藤対馬 大条監物≪これらの方々は留守居役なのでしょう≫ と言う事は小十郎は江戸屋敷住まいだったのですね。
読み下しが 滅茶苦茶で済みません。出が理系なのでこのくらいしか読み切れません
・越河宿
絵図では宿の出口の見付が見えます。枡形のようになっています。

現在の越河宿の福島側からの姿はアイキャッチの姿です。
・錦戸館山
表記されている場所は笹森小屋館、愛宕館と西屋敷小屋館跡と思われる
・考光寺(定光寺)

・八幡山(諏訪神社)

越河五賀(平村 6-23)
さて古地図は。わーっ書き込み一杯

・頑張って読んでみよう。≪漢文でないので素人でもなんとか、でもあやふやな解読です≫
伊勢物語 ・上方よりは江武(関東)をもって京詞と申したる証歌 真に恋にしなすは桑子(蚕)なり 並べかける玉の根ばかり・桑子は恋心の深き虫なり
・歌さえそ醫(医師)たるると思え ・京都は自然と五音清濁いまはり(おいでになる)に叶う 和歌をはじめ詞書 清の物語 笑う 委(託し)又譬(たと)えば京にては 夜と言う 夜には寿なる湯気かくれて 陽気寄る旅行人は宿を求め寄るいぜんとては目を合わせ寄る 皆是 よるという を以って 夜の言葉となる 然るをに田舎は なまる故 夜を言う 物を選いるを 恋心になりて よる と寄(あつまる)とに違と申す。 昼は干なり朝夕の湿気 日中の陽気 を受けて乾き 干なり。是又東国は濁音に先と申す故 不調法の輩の言葉に聞きえる也と云う 又田舎の和訓 ひながなりと云う 京都なる人は 花を見ては歌を詠みし 春夏秋冬に心を込めて愛す 東の方はさにあらず 花を見ては枝を折り 泉を見て足をひたして清き泉を濁して悦 故に いたずらに日を流し 著しく心を込めさせ 以って名とは 申し奉るか あまさかる醫(医師)とは 天子の御目に意(心)さかる方を申すととも説に侍かなり。
江戸時代の侍の心になり切らないと本当の意味は解らないですね。ぼんやりと描かれていることはわかった様な気がしますが・・?????
越河宿と五賀の境が右下に
是より北は五賀 南は越河村境
・千手山(亀ケ森観音堂)
この場所は亀ケ森観音堂がある古墳跡、観音堂には千手観音が祀られています


平村
五賀地区には平村は確認できません。地名としては五賀平と平台地区はありますが平村では無いと思われます。
文中 平村の「夜明けの松 今は杉なり 又 根越の松とも 昔義家公女の拝えかよえて 所なりという」を調べると
この地区の八幡太郎義家の逸話は白鳥伝説があり、しかも白鳥神社が五賀地区には二社あるという偶然と上記の古文書の記録が重なります。義家公女が白鳥に変わったのかもしれません。
地域の伝承話
≪前九年の役のあと、義家は賊徒供養の為に京都六条坊門のほとりに耳塚というお堂を建てた。又、亡者追福の為に、多くの鶴に黄金の環を付けて大空に放したと言われている。その鶴が五賀に舞い降りこの地に白鳥という地名がついたと言われています。
三渡大明神(白鳥神社)
場所的には絵図にある「三渡大明神 別当 連明院」が後年白鳥ブームによって白鳥神社になった可能性が濃厚です

連明院 (覚永寺)

平村 (6-24)

外ことは和名抄 釈名 多くの歌書にて不明なり・・・・よくわかんないんだ???
樹上に山鳩の声 高く鳴いて 葉山を分け行かずく // 山深々として松風はやてにたり
しっかり自然に浸っての街道歩きの様ですね
結局 平村はわからずじまい
齊川の支流と思われる矢尻地区入口の川
矢尻の塚(一里塚)
矢尻地区にある塚跡?一里塚のあった場所に建てられたと思われる権現塚

馬牛沼 (6-25)

白鳥多く集る 沼と称する 蓮根名物 此の沼よりジュンサイと申す由比 名物出候 ところてんのめくにて さしみなり 似よろして 和歌八重垣≪隠れ沼の 下よりおふる ねぬなはの ねぬなは立てじ くるないとひそ≫和名は 根ぬなは 古歌に根ぬなばの 寝ぬ夜も多くと読みにて 有の候 誰に面白に くさの名に 草溜り意
馬牛沼
国道4号線沿いに見える馬牛沼

万騎の館 (萬行楯城跡)
昔 貞任(安倍貞任)より押す 物見館より称す候 見積もりおおよそ 二百六十間程なり

萬行楯由来
萬行楯縄張り図
萬行楯の隣に孫太郎餅?

鐙摺り坂で孫太郎判明
鐙摺 (6-26)

鐙摺り坂
鐙摺り坂の途中に孫太郎虫供養塔がありました

ヘビトンボの幼虫で全国的に高価な値段で取引されていました。孫太郎餅はそれに便乗した商品だったのですね。
ヘビトンボの幼虫・・虫ですよね。大人で良かった。
ちょっとグロテスクなトンボのヤゴですね。これを串刺しにして薬として売っていたのでしょう
齊川橋 一丁 前後の流れの内より孫太郎虫と申し出る。其の形ち蛭の如くあぶりて食すと味美しゆえ小児の虫薬なり
昔の漢方 良薬なんでしょう。ちなみに山東京伝が書いた「仇討ち孫太郎虫」が大ヒットして爆発的な薬の売れ行きがあったと言われています。
鐙摺り坂
これはきつい鐙摺り坂、馬の鐙が壊れる。馬では通れない峠でしょう

ほとんど登山道ですね
田村神社と甲冑堂
田村神社は御存じ田村麻呂を祭った神社。道の反対側に鬼石 田村麻呂が東蝦を討って骸を墓に 偲ぶとす
義経衆従の佐藤嗣信、忠信の妻女 楓・初音が父母の為に甲冑に身を包み 父母を慰めた話は有名なお話し。


此処 齊川の 楓、初音の甲冑像は嗣信、忠信の未亡人ではなく 後の世に作られたもので 諸説あるようです。
鬼石

田村(麻呂)東夷を討って 骸を 墓にしうると云う 田村麻呂の時代 事実の検証は難しいでしょうね。
齊川を渡ると齊川宿です

齊川宿入口 すぐ先はヘビトンボが住んでる齊川です
今回はこれまで。次回は12-6-27~31 最終章です
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