武奧増補行程記12-6を現代に見る(27-32)

武奧増補行程記12-6を現代に見る(27-32)

もうすぐ白石。ようやく行程記も12/5、12/6も終了します。見落としも結構あったと思います。反省。反省。

田村神社から齊川宿に入ります

行程記6-27(齊川宿)

齊川宿

今も残る齊川宿の街並み

齊川宿検断屋敷跡

齊川宿検断屋敷跡(昔の警察署と裁判所それに監獄を合わせた屋敷)絵図の制札はこの場所にあった?
検断屋敷跡の西に義経山大義寺があります。絵図は義経山大源寺とあり書き間違いか?

行程記6-28(赤館)

中央に赤館の表記あり

赤館跡

絵図中央に赤館、道祖神あり
手前のこんもりとした岡が赤館と思われる
街道沿いにある道祖神社は小社か?
社は近世に建てられたものと思われる
是より戸沢新街道 戸沢新街道は齊川宿より戸沢宿を通って七ヶ宿経由で米沢、山形方面に向かう奥羽街道街道の脇筋です。藤田から抜ける街道がメイン街道です
絵図右上山頂に八幡社あり道祖神反対側と山の上だったので見落としてしまいました。

行程記6-29(大平館/白石城入口)

右中央にある太平館は藤原泰衡の館跡と言われます。泰衡を太平と呼んだのでしょう
絵図の右に太平館。麓に太平神社がありました

太平神社

神社入口道が狭いので徒歩で行かれてください

 

神社の上が太平館です

太平館跡

太平館跡 古代の古墳跡に作られた館の様です

太平館 泰平神社の由来

銚子ケ森

白石城入口に柚ケ森の地名あり。この森 東鑑 記載ありと・・・奥州藤原氏の初代である藤原清衡が、東山道を整備した際に「てうしか森(銚子ケ森)」について記したとする説があります。銚子ケ森古墳でこの周辺は古墳群が点在します。近くの斎川を下ると有名な郡山横穴古墳群があります。

白石城下

産物 大法紙 半紙 蓑 等など特産物が描かれています

白石城

白石城天守入口 大手一ノ御門
この城には大手一ノ御門、大手二ノ御門、二ノ丸大手二の門跡と三つの大手門があります
天守
伊達家臣 片倉小十郎の居城です

千念寺

絵図の中央左上 街中にあるお寺です

永明寺(延命寺)

永明時の先にある延命寺 旧白石城の厩口門。戦時はここから騎馬隊が出陣したのでしょう

安珍清姫

延命寺には行程記12-5-4に記載した白河郊外の安珍堂がここ白石でつながっているのは何かの因果でしょうか
どちらかがころり地蔵だと思うのですが?

安珍の身代わり地蔵?

安珍は大蛇に化身じた清姫より梵鐘に閉じ込められて、今は祠に閉じ込められて( ;∀;)しい性です

悲しいお話です。それにしても女性の恨みは恐ろしいですね。

行程記6-31(白石川)

白石川を渡ると行程記も最終編になります

絵図の左下にある古歌 「陸奥の阿武隈川の 貴方なる 人忘れしの 山は険しき」

『夫木抄』巻第二十 読人不知 人忘れずの山 の≪陸奥のあぶくま川のこなたにぞ 人忘れずの
山はさかしき≫の本歌取りか?

行程記6-32(児捨て川)

児捨て川 なんか悲しい予感がする名前です
白石地方の白鳥伝説について
遠い昔から、この地のひとびとは、白鳥を神として祀り、祈りや願いを込めていた。そうした思いが、いくつかの伝説となった。

伝説1:日本武尊は、宮の地に王子を残して帰京されたが、村人は王子の偉貌とその能力を恐れ川に捨て  たが、王子は白鳥と化し、村々に災いをもたらした。村人はそれを悔いて、白鳥を神として祀ったという。(刈田領神社縁起)

伝説2:武尊は、姫と王子を残して帰京された。姫は尊を慕い「白鳥となって都に飛んでいく」と、王子と共に川に身を投げ、二羽の白鳥となったという。(白石市史)

伝説3:用明天皇の若き日 皇子と玉依姫は都への途中、王子を出産。姫は長旅を想い別離 悲しみのあまり、王子と共に川に身を投げ白鳥に化したと 伝える。地方の人は この川を児捨川と命名した。これらの伝説は、今も忘れがたく伝えられている。

平成14年3月 白石市HP から

一本松の追分

児捨て川を渡ると追分がありました
是より釜崎道の街道案内が

追分にある深谷地蔵堂

お堂はすでになく地蔵さんが建っていました
優しい顔立ちのお地蔵さんですね

色んなお地蔵さんがあるんですね。時間があれば訪れてみたいものです

児捨て川の白鳥伝説

児捨て川

山間を流れる児捨て川

武奧増補行程記の12-5と12-6を走破しました。これからも街道筋の歴史を掘り返して行きたいと思います。