安積山麓さんぽ(駅前さんぽ 日和田駅)

安積山麓さんぽ(駅前さんぽ 日和田駅)

芭蕉「奥の細道」の花かつみで有名になった安積山は日和田駅から北に徒歩20分、奥州街道の松並木があり江戸時代を彷彿させるファンタジックな道筋を歩くと、右側に安積山公園の案内があります。

奥州街道の松並木

  • 奥州街道にある松並木、日和田駅手前の街道沿いにも松並木が見られます

陸奥国前采女の万葉句碑

この地には安積山の歌「安積山影さえ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」の歌碑があります。安積の地には二つの安積山があり、芭蕉の安積山(日和田)、采女の安積山(片平)双方に陸奥国前采女の万葉句碑があります。

日和田 安積山公園の句碑 近所には山井の泉もあり市民の憩いの場所になっています。

芭蕉が探しまわった、花かつみの花も有名で5月になると公園いっぱいに咲き乱れます。花かつみの開花時期は、芭蕉が曽良とともに白河の関に来た時期には「うの花」を傘に刺しているので、すでに花かつみの盛りは過ぎていたのでしょう。

実際に花かつみは現在言われている「姫シャガ」とは違う。ともいわれています。

  • 可憐な花かつみ 「奥の細道」の題材としてはこちらが映えますね。

推測ですが、芭蕉は万葉集の「安積山の歌」よりものちの時代に数多く歌われた「安積沼」と「花かつみ」に興味があったものと考えられます。中世以降日和田八丁目付近の大きな安積沼は水田に変えられ、多数の溜め池として現在も痕跡を残しています。芭蕉が訪れたころは安積沼は水田になっていたのでしょう。

最近になって、芭蕉の句として「安積山かたびらほして通りけり」が郡山の安積国造神社に句碑が立ちました。芭蕉が奥の細道にこの句を入れなかったのは、猪苗代兼載(連歌師)の歌と被っていた(軽いノリで作ってしまった)? 又は曽良の随行日記には片平の安積山は認知していた。よって芭蕉も安積山が2か所あることは知っていたと思われます。その為に兼載の「安積山片平越えて来てみれば初ホトトギスおとずれぞする」を受けての句として読んだが、片平へは足を延ばしていないのでボツになった。と個人的に推測しています。その真偽を知るのは芭蕉だけです。

西方寺

日和田駅前から3分の所にある天台宗の古刹西方寺、ここには蛇骨地蔵堂があります。先代の住職から聞いた話ですが、以前は宮下地区にあったものを幕末に移転したと聞いています。明治の廃仏毀釈でお寺が再編成されて、明治以降は地名とお寺の関係が混乱しています。

蛇骨地蔵堂の裏には鎌倉後期と思われる、浮彫阿弥陀2尊が2基と三十三観音像が並んでいます

郡山市の重要有形文化財の蛇骨地蔵堂

西方寺本堂には鎌倉時代の作と言われる福島県指定の重要文化財「木造大日如来座像」あります。特徴である玉眼と衣紋の彫りなどが見事です。

他にもある古い遺跡

鎌倉時代のものは蛇骨地蔵堂の参道にある、種子板碑は正安二年(1300)と蛇骨地蔵堂と裏には、半浮彫りの阿弥陀如来の双碑が2基。

    • 鎌倉後期の作と思われる阿弥陀如来双碑の板碑
  • 2基のうちの1基はかなり摩耗しています。

タイトルキャッチの画像を見ると後期に作られた三十三観音像は屋根が吹かれているのにこの2基は雨ざらしです。現代と同じように映える石仏は脚光を浴びるのですね。阿弥陀2尊もこれ以上風化するとただの石ころになってしまいそうです。

市指定天然記念物

西方寺には県指定の天然記念物の樹木があります。イチイの木はアララギとも呼ばれ、NHK子供アニメのおじゃる丸が持っている笏などに使われた由緒ある木です。短歌の世界でもアララギ派と白樺派などと庶民には敷居が高い木です

老朽化して お疲れ様という感じです。

蛇骨地蔵堂前の笠松は樹高は4mと小振りですが推定樹齢は250年と言われています。市内指定天然記念物に指定されている松はこの一本だけです。

松の幹は書家 橘貞立の顕彰碑に寄りかかり「ひじかけ」の松として愛されています

日和田町は宮下地区や八丁目地区など古いものがたくさんある街です