CQ山からこんにちは(二本松/浪江町 羽山 FS-108)

CQ山からこんにちは(二本松/浪江町  羽山 FS-108)

9月に入り 暑さも落ち着いた曇りの日、今日こそは山に行くぞ!!   と・・・。

しばらく登っていない羽山にターゲットを絞り早朝に出発。

羽山は標高987mと隣接する、日山(1057m)に引けを取らない山ですが、山頂まで舗装道路が続く比較的登りやすい山です。

アマチュア無線のSOAT山岳ポイントもFS-108と指定されています。山頂付近も無線を楽しむのに最適な東屋もあり気軽に楽しめる山です。

道順

国道4号線を郡山から福島方面に進み459号線を浪江方面に進みます。しばらく進むと合戦場の桜の先を349線に出ますので左折します。349号線を右折して県道62号線(二本松-原町線)を、道なりに進むと羽山登山道の案内があります

右下に進みます

道なりに進むと十字路です。右折の道路が立派ですが直進しましょう

直進します。道が貧素ですが頑張って進みましょう

杉木立の細い道路を進む

杉木立の中をひたすら進みます

鏡沼到着

いつもはここから舗装の登山道を登ります。今日はお天気が悪いのでもう少し上へ
道が狭いのでここからの登山開始が一般的です

木製の朽ちかけた鳥居の近くに駐車して、10分ぐらい登ると南登山口の合流地点の下に到着。この近くに東屋があるので雨が強くなってもOK。

小雨 模様ですがまだ大丈夫

山頂はガスです

視界不良ですが、山頂はここからすぐです

山頂

山頂の碑「羽黒神社」

何も見えない山頂ですが

松笠菊(ルドベキア)です。こんな天気でもけなげに咲いています。心和みますね。

山頂からの眺めは今回はお休みです。

アマチュア無線

今日はいつもの144MHzのHB9CV 5ELスタックの運用です。関東エリアのおなじみさんと 15局ほど交信。今日の200km越えは釜石市と長野県の横手山です。晴天の日と比較してシグナルリポートが低いのは、山に立ち込める霧の影響でしょうか?。気を取り直して交信続行、最近は関東エリアでも1Stコンタクトはめっきり少なくなりました。「生きてますよ‼」という メッセージが伝われば良しとしましょう。
他に433MHzと1.2GHzのハンディトランシーバーの運用。433MHzは福島のおなじみさんと59+++でコンタクト。1.2GHzは同じく西郷村の局長さんと55で交信できた。1.2GHzは何とか1局交信し空振りに終わらず満足して下山。

本日の道草   小浜城址

以前より459線の途中に海でもないのに「小浜」と言う地名が気になっていました。ここには大内氏が築いた小浜城址があります。築城した大内晴継の子 宗政がこの地が故郷の福井県若狭の小浜に似ているので小浜城と命名し、この地方を小浜としました
海が見えないと小浜のイメージがつかめません

小浜の町から城址公園へ

丁寧に道案内があります

ここがお城の入口

二本松市の小浜支所前の大手口

道なりに登ってゆくと石垣が

本丸の石垣の様です

ここが入り口だ

階段を登ると広い本丸跡がありお城の由来の案内板がありました

本丸跡の広場
かなり広い御殿も立っていたような雰囲気です

ここに大内氏の居城があったという証の碑です

小浜城址の案内

あの伊達政宗も居城していたのですね。人取り橋の戦い等、全国的に有名な史実の舞台がここ二本松周囲だったのです。

近くにこんな場所が

かっかとはお母さんのことでしょうか
母親よりも子供が先に亡くなったのでしょうか。道路から近くにあり丸く大きな石なので気になって立ち寄りました。

岩代地区は探索すると色々面白い場所がありそうです

岩角山 岩角寺

いわづの山 がんかく寺と呼びます岩代33観音で有名なこの寺には山一帯に線刻の観音像が沢山彫られています
途中に一休さんの案内があるので道に迷う事は無いでしょう
境内入り口にも一休さん

岩角山由来

快光南天?

かいこうなんてん?仏教用語に邂逅(かいこう)とありますが、Webで調べると。明らかな因果関係を持たない出来事や状況が驚くべき同時発生することです。驚くべき偶然の一致の認識は、超自然的、オカルト、または超常現象の主張につながる場合があります。あるいは、出来事はあらかじめ決められた計画通りに起こるという教義である運命論への信念につながる場合があります。とありました
超常現象が岩角山に発生したと言う事でしょうか?  慈覚大師が開祖したお寺で禅宗の一休さんがお迎えするのも面白いですね。

山の中には自然石に彫られた仏様が沢山見られます

一番札所は如意輪観世音菩薩

4番札所の千手観音

案内坂があるので時間がある時にゆっくり見て回るのも良いですね

阿武隈山系特有の石灰岩の岩山なのでこのように線刻石仏像が製作可能だったのでしょう。慈覚大師がこの地に毘沙門天像を彫ったのは、石材が豊富だったのからではないでしょうか?

帰路で見つけたわんだの清水

この地に清水があるのは以前より知っていましたが、地名が和田にあるので訛って「わんだの清水」と呼ばれていたものと思っていました。しかし「椀田の清水」があってこの地名が和田になったことが由来に記述されていました。
いつの世にも他人のことを考えない人が居るものですね。5人組や結の習慣がある当時としては考えられない事ですね。